‘journey with cyclops’
『世界一美しい数式「e^iπ=-1」を証明する』(2019.佐藤敏明) を読破し、数学回路を構築した脳で作曲するプロジェクト。
さて、霧立ち込める微分の平原は足を取られることなく抜け、とうとうオイラーの等式霞む夜半の浜辺に降り立った。微分の平原の終わりは単の3次関数のグラフ作図だったのでかまわずに先に行こう。
さて、第5章、オイラーの等式へこぎ出だす浜辺に降り立った途端思ったより深い砂に足を取られて転んだ。
足首を掴んでいたその正体といえばベキ級数展開だ。こいつにはお目にかかったことがない。が落ち着いて盃を交わし、きびだんごを献上してみると大したことはない(ないのか?)、要は微分の微分の微分の微分の…..etcだ。
霞むオイラーの化城喩目の前にしてとんだ門番に出鼻をくじかれたが果たしてこいつは本当にオイラーの等式の証明に必要なキャラなのか?
というか第1章から解説してきたすべての数学知識は本当に全部使うんだろうか?
階梯式にステップとしての数学だとしてもどうもそこからの景色を楽しむだけのパートもあったような。
さて、オイラーの等式への船出は今だ砂を踏みしめて転んだ程度なので次の記事に回し、数学回路の話をしよう。
以前どこかのjourney with cyclopsの記事で述べた、文章が理解しづらいという感覚はどうやら本当のようだ。
本当も何も本人がそう言っているのだから当たり前だ。
久々に長い文章、サイエンス的でないもの、を読んでも頭に入ってこない。文字の上を脳が滑っていく感じがする。小説ならともかく、少し専門チックな一般書、脳科学などを題材にしたものが読みづらい。
かつ文章の書き方が変わってきている。↑明らかに句読点が多いし頭の中で文章が以前ほどスラスラ出てこない感じがする。
これは創作者としてなかなか致命的だ。
今更このプロジェクトをやめるわけにはいかないがやはり数学回路と文章構築回路は同期しないのか?どちらか一方しか発達させられないのか?それとも私の脳のキャパシティがせいぜいその程度だったのだろうか。
私は元々文系の方が得意で難解な文章を読みこなし書きこなすのはお手の物だと思っていたのに、その当たり前の能力が削られサイエンス系の回路へ明け渡されているように思う。
私の流水形態語彙構築思考能力が人質に取られ、サイエンスの流刑地を文章回路を踏みつぶしながら引きずられていく軍馬の如き愛惜の分断にいわれのある不穏を覚えつつオイラーの化城喩を仰ぎ見つつとうとう漕ぎ出だす。
まずはどこへかって?無限等比数列へですよ。