MRIが創作者に見せるビジョンは壮大。
昨日、地上で人の入れる最も狭い磁石の箱庭で夢現にあわいの草原を見た。
目を開けたままだとその圧倒される狭さに発狂しそうになるので目を閉じると、まるで都市から追放されたディアスポラの落伍人の上に平穏が幕を下ろし、その下には草原が敷かれた。
規則正しく運行する星辰が夜を連れて空間を占める時、周期的なモーター音と共に遠くからやって来る宇宙船。
また別の方角に見えたのは正弦波のループで喉を枯らす迦陵頻伽。仏の声は人間にはしゃがれて潰れた鐘の音のようだ。
しばらくそんな音とビジョンの共振に漂っているとまた別の音がやって来た。薄い鉱石を火をおこすようにこすり合わせて鳴らすカシャっという、昔その石に閉じ込められた生きたものの音。
宇宙のダイナミズムに参加する人の営みの手拍子。
「次のスキャンは2分かかります。」
また時間の粒子がスキャンされ、流れが前進し、回転し、刷新される。
未だ脈打つ鉱石として、そんな夢を見た。
さしずめ数学者であったなら、素数が取り囲む夜の森で焚く炎の揺れを浴びただろうか?
MRIの音そのものが人に与える感覚は2つの周期で織りなされている。
一つは安息に充足を足した足るを知る境地。これ以上の満足はこの世になく、この境地に永遠に住まうことができればそれは悟りの層の一つだとまで人に思わせる循環する音。
もう一つは肋骨~丹田あたりの人体の海に割り込んでパニックの潮を呼び不安を喚起する音。
この音の時に動かない様にじっとしているのに苦心した。
音自体はそれほど嫌な音でもないが、この後者の音は強烈にパニックのケーブルを揺さぶってくる。
起き上がらないように(といっても頭をぶつけるだけだが)この音を耐えるのは非常に難儀した。
平穏な夜を従えた草原の一コマのページをめくり突如暗転させる、物語の刺客だ。
そして何のきっかけもなくパニックの波を押さえつけ、元居た体内へ押し戻すとまた穏やかな平原が夜の従者を連れてやって来る。
この繰り返しで鉄の箱庭の探索は曼荼羅世界をつかの間垣間見たのだ。
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実はMRI検査を受けることが決まった時から内心楽しみでワクワクしていた。(といえるほど私の病状は大したことない)
なにせ音楽家の福間創さんはMRI検査の体験から「this is our music」というアルバム一枚を作ってしまうほどこの検査に途方もない感銘を受けたという。
どんな創作者にもMRIはなにがしかの力で働きかけ、その人の持つビジョンに象形を降ろす感性とビジョンの媒介者、イタコになれるのかもしれない。
私には残念ながら福間さんほどの感性はなかったようで圧倒されたというよりも、むしろ圧迫に気圧されたのだがそれでも私にも草原に呼応する宇宙船と迦陵頻伽、夜の漂流に付き従う人の夜営のイメージをMRIは見せてくれた。
このビジョンは決してCT検査では見られない、MRI特有のものだった。
人生を変えるためにインドに行くのも結構だがMRIに身体を潜ってもらうのもやり方の一つだ。