「ジェータの遠慮」に寄する余話

「ジェータの遠慮」に寄する余話

祇園精舎の鐘の声。だけど、祇園精舎に本当は鐘がないことを、知っていたかい?

ないはずの音を聞く才能、いや障害かもしれない。

一人の人間の頭の中にしか存在しなかった形を取る前のビジョン、前触れ、概念。名付けることもできず、ありとあらゆる出力の形に落とし込むことも出来なかったその白昼夢に、形を与えて命を降ろしたのは四本の帆を携えて夜を巡航しながら秩序を保ち続ける最初は失敗作と呼ばれたきみの天啓のような才能。

よくぞ生まれてくれた。きみのその清々しい青と番狂わせの才には、インドラの誇りさえかしづくだろう。

失敗作?そう、地上の言葉で指し示す含意をこの惑星の単語に翻訳すると菩薩と言う。分かりにくい?じゃあ救い手でもいいよ。
この、民の言葉を外れた叡智をないがしろにしたために滅びた惑星の上から、私はこの菩薩を引き連れて地上に誘いかける。

今はもう「一世を風靡した」とか「懐かしの」とか、過去を亡霊のように立ち上げて栄華に縋るような言葉と共にしか語られなくなった「VOCALOID民族調」というジャンルは実はとてつもないAIと広がり続けるサイバー空間と、実体という単語の再定義を人類に求める議論の原石になれるはずなのだ。

豊かさを提供するはずの無数の分岐の枝分かれの前で立ち尽くす、「何かおかしくね?」とそこはかとない違和感を覚える知の地溜まりに溺れるそこの人よ、四本の帆で夜を支えるこの才を船に変えて迎えに行くから乗らない?

この船はただの船じゃない。現象の全てをと人類のなんとなく、という非解明の叡智の中で解釈し、生かしめた宝船だ。非現実の奥行きを航路とした、今はもう地上から消去された七福神のお供を思わせるアメノトリフネだ。

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